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可愛岳(727.7m)は、延岡市北部から北川町に入った国道10号線の沿線にあり、西郷隆盛率いる薩摩軍の「可愛岳突破」で有名である。また、東西に細長い山頂部を持つ花崗岩の岩山である。 登山口には、西南の役で「和田越え」の戦いに敗れた西郷軍が、最後の軍議を開いた屋敷跡があり、「西郷隆盛宿陣跡資料館(0982−46−2960)として残っている。 南北二つの登山コースがあるが、往路は尾根伝いの北コースを辿り、烏帽子岳を経由して可愛岳へ行き、復路は、薩摩軍敗退路を辿る南コースを使った。(登山ルート参照) なお、可愛岳=「えのだけ」という難解な呼び名の由来は不明である。 アプローチ:熊本市内(05:22)→R57大津→R325高森→R218高千穂→青雲橋(06:55)→(延岡市)川原崎左折→R10(このあたりでカーナビに依存したがよい)和田越→俵野→西郷隆盛宿陣跡資料館駐車場(07:50着 133km走行) 期日:2007年11月17日(土) 紹介先:延岡市役所北川町総合支所 0982-46-5010 |
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「西郷隆盛宿陣跡資料館」の前の広い駐車場に車を駐める。 記念館前の掲示板には西郷軍の「可愛岳突破」の様子が簡単に記されている。 |
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記念館の上方を見上げると、「可愛岳」が東西に長く横たわっている。 |
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08:20 記念館の右側から日豊本線の線路に沿って道を辿り、トンネルを越えるように右に曲がりながら登れば林の中に石碑がある。 |
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08:25 中津大四朗の自刃の地、庚申塔、石塔群を見て左手の尾根道を進む。 |
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08:30 深くえぐれた溝状の道が続く。 傾斜は緩やかで単調な道である。 |
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09:17 途中、スダ原遺跡・ヒデシ・陰平・アズキハナなどの文字を見ながら、照葉樹とシダの多い緩やかな登りが続く。 |
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09:24 二本杉から急登になり、視界が広がる。 「鬼の舟」の標識のある稜線に出る。 |
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左手に「烏帽子岳」が見える。 |
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09:36 左右に二本杉林道が現れる。 矢印に沿って正面の丸太段を登って再び林の中へ入る。 |
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09:55 ストーンサークルの標識がある。 こんな所に古代人の遺跡があるとは! |
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10:00 主尾根に上がると、ロープのある急登が続く。 |
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10:10 「烏帽子岳」山頂広場。 地形図には、585.8mと表示してある。 |
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東南の展望が開けている。 北川が日南海岸へ流れている。 |
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10:22 「烏帽子岳」から鞍部へ下ると10分程度で南、北コースの分岐に出る。 帰りは、南コースを下る。 |
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10:28 分岐からきつい上りで、前屋敷に到着。 前屋敷より「のぞき」まで300mとある。 「のぞき」は、「千丈覗き」とも云われる断崖絶壁の平坦地。「千畳」ではないので広くはない。絶壁の高さが千丈ほどもあるという。 |
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10:43 この後は、滑りやすい不明確な道ではあるが、テープを確認しながら登ればよい。 |
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岩峰や岩場をいくつも乗り越える。 |
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11:06 あと5分と知り、安堵する。 |
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11:13 およそ3時間で到着。(北西に三山) 標高は727.7mと低山であるが、歩行距離が長く、稜線に出てから、岩を縫うようにアップダウンを繰り返さなければならなかった。 (およそ700m登ったことになる) 大崩山に登ったのは、2004年だった。 |
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西南方向に「行縢山」 |
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狭い山頂であるが、抜群の展望だ。 単独行は不安もあるが、山頂を独り占めできることが何よりだ。 この由緒ある山頂で、西郷隆盛の名言に思いをいたす。 曰く「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くし、人を咎めず我が誠の足らざるを尋ぬべし」 12:05 大自然に浸りつつ、昼食を済ませて下山。 |
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南コースの分岐は12:42に通過。 13:00 ロープもある険しい下り。 このコースが「薩摩軍の敗走路」かと思うと感慨深い。 |
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13:22 ザレの平、ザレの頭を過ぎると、植林の中の長い下りが続く。 |
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「ひべら山」の案内板を右手に見て、さらに植林の中を下ると、伐採された杉の木で前方一帯がふさがり、登山道が途絶えている。 途方にくれていたら、電動鋸の音が聞こえたので、”きこり”の人に迂回路を教えてもらって助かった。 |
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14:15 南登山口に到着。なんとチョウークで薄めに通行止めと書いてある! 桐野利秋宿営の地(岡田さん宅)の前を通り、橋を渡って資料館の駐車場にたどり着く。(要2時間10分) ↓通行止 帰途、高千穂温泉で疲れをおとす。 |
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