玄武の由来             

ある書籍でおよそ次のような由来があることを知った。

平安朝の頃からここ高千穂郷を支配していた「三田井氏」は、領内に多数の城を構えていたようで、「玄武城」はその一つであった。戦国時代に入り、豊後の「大友氏」に攻められ落城した。
このような険しい山にある城は、居城ではなく、「いざ戦い」というときの詰め城であったのであろう。


『玄武』とは、四神(しじん)の一つである。そして四神とは、有名な高松塚古墳の壁画に描かれている、青龍(せいりゅう)・朱雀(すざく)・白虎(びゃっこ)・玄武(げんむ)を示し、各方位(東・南・西・)の守り神として、太古の昔よりあがめられてきたものであるという。
従って、玄武城は、「三田井氏」の北方の守護城の意味であったろうと考えられる。

青龍

東を守護する聖獣で、姿は通常の龍と変わらなく、青い色をしています。
しかし、古代の壺などに描かれている場合は、頭だけは白や黄色のものもあります。
平安後期の説話集「古今物語集」には、夢殿にこもって聖徳太子の魂だけが青龍に乗って中国に渡り、仏教の経典を取って来たという話があります。対応するのは、色では青、季節では春、青春、五行では木、方位では東、臓器では肝臓、食べ物では酸っぱいもの、環境では川。

朱雀

南を守護する聖獣で、四霊獣の鳳凰のこと。
普通は5色の羽を持つ美しい鳥ですが、江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では背丈が1m以上で、コウノトリ、ツバメ、ニワトリ、蛇、魚、オシドリ、龍などが混じり合った姿をしているとされています。
天下太平のときだけ出現し、鳥の王のような存在で、飛べば多くの鳥がその後に従って飛ぶといいます。
対応するのは、色では赤、季節では夏、朱夏、五行では火、方位では南、臓器では心臓、食べ物では苦いもの、環境では開けた土地。

白虎

西を守護する聖獣で、白い虎の姿をしています。
江戸時代中期の図鑑『和漢三才図会』では虎が500才になると白虎になるといいます。
白は五行思想で西の他、土も表すため土の精であるという説もあります。
対応するのは、色では白、季節では秋、白秋、五行では金、方位では西、臓器では肺、食べ物では辛いもの、環境では大きな道。

玄武

北を守護する聖獣で、亀と蛇を合成したような姿をしていて、四霊獣の一つとされます。
五行思想で北は黒を表すため玄(黒)、甲羅を背負い防御に長けていることから武と呼ばれます。
古代の壺などではしばしば蛇を体に巻き付けた亀の姿で描かれます。
のちに真武玄天上帝という神になります。
対応するのは、色では黒、季節では冬、玄冬、五行では水、方位では北、臓器では腎臓、食べ物ではしょっぱいもの、環境では山や丘。


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