鬼山御前の伝説               

   平家の官女、玉虫御前は屋島の戦いに敗れ四国より日向を経て、弟と共に源氏の追討をさけ、名も鬼山御前と改名し、柿迫村岩奥にすみつきました。
 その頃源氏の追討はきびしく那須与市の弟大八が、平家の残党を追い求めて、椎葉村まで参りましたが、大八の帰国がおそいので、那須与市の嫡男を第二の追討に差向けました。
 那須の軍勢は、岩奥を通り五家荘へと向かいました。
 岩奥に住みついていた鬼山御前は、那須の軍勢の後を追い、同じ同族の平家を討たせてはならぬとやっとこの地、保口にて追いつき「この奥は人の住む所ではない、ここに留まって様子を見ては」と引き留め、那須与市の嫡男と鬼山御前との共同生活が始まり、そのままこの保口で一生を過ごしたと伝えられます。
(保口の那須家は、その子孫とつたえられる)
              
                        八代市


追記

@鬼山御前は、多くの子供を育て、『乳の神様』として、泉町の保口若宮神社にまつられている。

A全国有数の秘境としてまた平家落人の伝説で知られるのが
五家荘。

椎原村、久連子村、葉木村、樅木村、仁田尾村という5つの集落の総称である。

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