入山公廟(中川家墓所)


Nyuzan2Hisakiyonakagawa新しく竹田市になった久住町には、岡藩三代藩主中川久清の墓所があります。

中川久清は久住連山の大船山を愛した人物で、入山と号した殿様です。麓の七里田温泉にお茶屋を設立し、岳麓寺から大船山への登山道の中腹にある鳥居ヶ窪へ度々登山し、藩士を引き連れ軍事演習を行ったとされます。

久清は足が悪かったこともあり(だから湯治をよくしています)登山の際には背負子のような「人馬鞍」で藩士に背負われて登ったとされます。
現在の感覚で言うと「担いでもらうなんて」というところですが、平地を藩主が移動する際に馬や駕籠を用いた感覚を登山道で応用したものと思われます。

近代登山が始まる以前の17世紀後半に、登山をする藩主というのはかなり珍しいのではないでしょうか、近くの小さな山ならありえますが久住連山クラスに登るのは聞いたことがありませんね。

Nyuzantorigakubo1久清が度々登山した鳥居ヶ窪は、現在は大船山がみえる標高1400m程度の高地にある草原ですが、小さな観音像や倒れた鳥居跡が残っています。また、近年まで牧野(ぼくや)で放牧されていた地です。今日はもっと下の方で放牧されていますが、往時は現在の登山道で牛を上り下りさせていたそうです。
また、久住連山自体が近世までは旧猪鹿狼寺や法華院温泉などのように修験道の山岳寺院が点在しており、法華院や坊ガツルを通って人々が往来したり、岡藩と熊本藩の境目争いで近辺の村落が原野の権利を争ったりと、多くの人々が関わる「信仰と生活の山」だったようです。今日の登山の山とは趣が違っていたようです。

Nyuzan4_1Nyuzan1久清は亡くなる際に大船山の中腹、鳥居ヶ窪を見下ろす位置に墓所を設けるように遺言し、没後に墓所が築かれました。それが「入山公廟」=「中川家墓所」です。
この標高1400m付近にある中川久清墓所は、おそらく
日本国内で最も標高が高い藩主御廟と思います。

ここからは岡藩の領域、豊後国直入郡・大野郡が一望することができます。ついでに、この当時熊本藩だった久住・白丹は見えないのが面白いですけど。立地は大船山を背景になっており儒教の形式でお墓が営まれています。当時は近くに大船山の神宮寺もあり御廟の祭祀をしていたそうですが、廃仏毀釈で入山神社が麓に営まれ、今日は来田見神社となっています。

江戸幕府でも日光東照宮を造り家康を祖とする将軍家を明らかにした徳川家光も三代目。
同じく三代目の中川久清も岡藩中川家の礎を固めた「三代目」として、標高の高い鳥居ヶ窪から岡藩を見守っていたようです、そして月日が流れ、今日もアルピニスト殿様の久清さんは鳥居ヶ窪の上から、くじゅう登山や長湯温泉、岡城・城下町竹田などの観光PRする竹田市域を眺めているわけです。


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